怪異同士の関係性について考える

作品:怪異はましらさまと赤い女から発生
両者:カルトを仲介させることで繋がりが
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・赤い女:カルトに所属、儀式を赤い女でも
ましら:カルトとの共通点(石+女+頭痛)
※小沢くんは呪文(カルト)と山誘い(ましら)
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とはいえ、赤い女とカルトには「所属、元ネタ」という具体的な関係性が分かるもののましらさまとカルトにおいては関係してる以外に言いようがない状態である。さらにいえば赤い女とましらさまの関係についてもよく分からない状態である
作品の根幹に関わる話なので(解決不能ではあるものの)考察をする

とりあえずは怪異がいつからどのように発生したのかから考えてみる

(1)まさると石、神格化、風化
作品の怪異の大元になるのが「まさる」と彼の周辺で発生した事件である(時期は明治)
この事件でポイントになるのが石の存在であり、近所の女、まさる、彼の死後の村の女の全員は石にまつわる死に方をする。仮に最初の女が後者の二人と同じように自分で頭を打ち付けたら(十分に可能性はある)、怪異の元凶は石ということになる
※その場合は何故まさるが「自白」したかという話になるが、彼が元から精神的に異常を抱えており、周りから問い詰められて言わされたとすれば自然ではある
さらにいえば「家に閉じこもって…人形(に)一日中話しかける」生活を送っていたまさるが「ここら辺の山では見ない、黒い岩を切り出したみたいな大きい石」を持ってくるのは不自然であり、石がどこからかあらわれ、周囲の影響を与え始めたと考えることも可能であり、こちらからも石が元凶といえる
※「宇宙からの色」みたいなノリだろうか
とはいえ、村の女が死ぬ時には石だけでなくまさるとの関係も発生している(口と目を大きく開く、まさるに呼ばれる)。そして、祠を作って、石にしめ縄を巻いて置き、『まさるさま』とお参り、お供えをすると鎮静化がされる
これはどう解釈するべきか。石が単独犯を続けているなら、はじめからお供えしたら鎮静化する仕様であり、『まさるさま』要素は石がガワを借りたに過ぎないといえるかもしれない。一方、『まさるさま』の存在が石にも影響を与えるなら片方が鎮静化したらもう片方も同様に、となるかもしれない。この場合で『まさるさま』と石の関係を考えるのであれば、まさるの「自白」は実は半分正解、鬱屈した精神に石が近づいてきたみたいな話もできるといえばできる
※仮に石が暴力性を付与したのであれば2001年宇宙の旅モノリスっぽさが
『まさるさま』としてまさるの(怨霊)が鎮静化した後に、村民は彼らの子供に『ましらさま』の話を広げることで『まさるさま』を祀り続けようとする。『ましらさま』は猿の神様ということにした
『まさるさま』が『ましらさま』に変化することで、以降の彼にまつわる怪異には人外的な容姿(異様に大きい手足と白い大きな身体)が付与されることになる。ただ、問題なのは『ましらさま』が登場してからも『まさるさま』と呼ばれていた時の容姿、つまりは大きな口を開ける(人間の)男も同時に発生(夢の中や「手紙1」なら現実でも)していることである(まさに「まさるに呼ばれた言うもんまで出てきた」)
後者が『ましらさま』を祀る時に副産物として発生したのかはともかく、この存在が『ましらさま』とどう関係しているか、この二者がそれぞれ独立した存在であるのか。この関係性への疑問は、先程の石とまさる(『まさるさま』)の関係の時と同様に、怪異の発生の元が何かという問題に派生することになる
※仮に独立した関係だとしたらそれぞれの石との関係は何なんだということにもなる
ましらさま』が怪異として作中で登場しているのは、彼の神格としての存在が忘れられかけているので知らしめようとしているからだと思われる(あくまで推測)が、仮に『まさるさま』と『ましらさま』が独立した関係であるなら、『ましらさま』を再び祀ったとして(赤い女はともかく)怪異全体は止まるか疑問が出てくる。単純に、『ましらさま』を祀ることは『まさるさま』を祀ることとイコールでないからである
『まさるさま』は『ましらさま』が創出された後もしばらくは、村の子供に『ましらさま』を教えた親世代が(意識していたかしていないかに関わらず)『まさるさま』も祀っていたと思われる。何故かといえば『まさるさま』という知識を持っていたから。ただ、彼らの子供は『まさるさま』について何も知らない。親世代が消えたらどうなるか、と
※「老人」がそうしてる描写はないが、逆に『ましらさま』としても祀ってる描写もない
※そもそも『ましらさま』も老人の娘は「大人になってからはずっと行って」ない
とはいえこの仮定が正しいかどうかもまた解決されそうにない。理由は人口の減少に関する記述が乏しいからである。村の人口に関しての記述はダム(1950年代半ばに建設)の立ち退き程度であり、親世代の減少に関しては直接的に描写されてない(ダムがいつから自殺の名所だったか書いてあったらとも)
※流石に世代を推定して計算してとかはダルいのでしない
作中で『まさるさま』と『ましらさま』の怪異の発生にラグが発生しているかどうかの記述は当然ないし、親世代の減少と村の人口自体の減少の時期も重なると考えるのが一般的であろうから、これ以上は考えないことにする
ちなみに人口の減少を示唆する描写としては神社もある。50年近く前では、老人の娘の幼少期は境内で夏祭りの縁日があったが、現在では管理してる人すらいない。そして、最後に管理していた神主さんが亡くなってから何十年も放置されているという情報もある。これで何か考察できるか考えたが何も思いつかないので諦めるとする

※ちなみに、『まさるさま』から『ましらさま』に変化した時に神格が追加されているが、神格自体が作中に意味を持っているかといわれたらビミョーである。先程、神としての存在が忘れられかけることで怪異が発生するとは書いたものの、怪異自体はまさるの死後から発生してるわけである。神格の有無自体と怪異の発生や種類に関係はないといえる(『まさるさま』だと「嫁」にできるのかくらいだろうか)。怪異と神格の有無が無関係なのに怪異が出てくるのは、作者が読者をミスリードさせて「元は単なる人間かよ」と驚かせるためであろう(メタな話だが…)

(2)カルト
作中の怪異の経過の中で次に登場するのがカルトであり、1991年に「山のふもと、周囲にはダムしかない」場所で設立される。この団体と赤い女の具体的な関係はある程度は描写されているので、ここでは『ましらさま』との関係について考えてる
カルトは『ましらさま』の要素を幾らか持ってはいる(石、女、頭痛、お札の人物?)ものの、具体的な関係性については途端に情報が枯渇し、殆ど推測レベルの話に終始することになるが要素をとりあえず比較する
まず、カルトと石の関係である。石は村にあった時も施設に移った後も、それ自体は何もしないものの、その周辺で怪異が発生しているような構造は共通している。また、カルトの教義において石は(「道具に過ぎない」と言いつつも)キーアイテムであることは明白であり、こちらもまさるの時と同様に諸悪の根源さを匂わせている
では、その根源である石の窃盗とカルトの成立はどちらが先になるだろうか
※カルトがましろさまをスピ系で解釈、味付け?したとしても誰がそれをやったのか
※石の窃盗は余程のことがない限り起こり得ない状況である。石は当時の過疎化が進んだ村の、さらに階段を登った先にある廃れていた(であろう)神社の中の祠にあった。存在を知らない者が偶発的に石のそばまで近づくことはそうそう起きないと思われる
※作中でこの神社が心霊スポットとして扱われていない。「あの辺りの郷土史料か、歴史に詳しい人に話を聞かないと神社に関してこれ以上の調査は難しそうですね。ネットには特に(祠の?)情報はありませんし、マップにもあの廃神社の名称は載っていません」
これはどちらの可能性もある。石が教義の根幹に密接に繋がっているので、石の窃盗の後にカルトが成立したと考えられる。一方、カルトが設立後に変容をした結果として石を窃盗、導入したとも考えることもできる。あくまでも石は道具に過ぎない点を強調するのであれば矛盾はしないであろう
後者はさらに言えばカルトの設立場所がポイントになる。山の麓の周囲にダムがある場所は怪異の生息域とすら言える場所であり、カルトの施設に定住していたら感染する人も出てくるだろう。そして、感染後に石を移動させたスレ主(軍曹)のように、施設に持ち帰ったのかもしれない
この場合はスレ主(軍曹)を赤い女が誘導したように、怪異(『ましらさま』か岩自体)が本尊(岩+しめ縄)を移動してもらいたいと思っていた可能性も考えられる。これは本尊をなるべく人の多い場所に移動してもらいたかったと考えることができるかもしれない。とはいえ、この考えだと赤い女が自分の家に勝手に持ち帰る事に怪異側からのメリットがあるのか?ともいえる(そもそも移動に意味があるのか問題も考える必要はあるが)
※ここでも『ましらさま』と岩の関係問題が絡んでくるが、キリがないので省略
上記をまとめると石の窃盗犯の候補として、前者であればはじめから石を窃盗する意志を持っているであろうカルトの創設者、後者は(バイカーのように)『ましらさま』に偶発的に誘われた人もしくは石自身が勝手に移動してきたか(流石にないか)。その他としては村民が「捨てた」のかもしれない(列挙しただけで特に意味はない)

石以外で特に注目するべきはお札である。お札には『ましらさま』要素はあるものの、その存在自体はカルトの時にはじめて登場している((現代の)廃神社にあっても無さそうか)
お札の特徴はそれだけで感染する場合があること(謎のシールのRさん)、お札による感染者がさらなるお札を作る可能性もあること(ある場所5の「私」、もしくはRさんの三面鏡)が挙げられる
※Rさんの段階では既にカルトは解散しているものの、ここでは同じお札とみなす
※最後のは推測であり、Rさんの場合は他から拾ってきた可能性も一応はある。「私」の場合は赤い女からの感染であり、赤い女は元々はカルトに所属していた。カルトに所属することで感染した人を経由することでのみお札が作られるのでは?とも考えられる(埼玉一家は妻がカルト(の残党)に属していたかもしれない(ここまで書いて微妙だなと)。とはいえこれで何かが変わるかは知らない
ここで挙げた特徴の中に『ましらさま』の要素が含まれている。札による感染は『ましらさま』が近くにいる事で発生する。感染者によるさらなる感染の可能性は「行方不明少女」をみるに『ましらさま』でも起こり得る
※お札に感染した人が見聞きしたことを他人にいうことで更に感染するかは分からない
※お札を広げるのと『ましらさま』が(村の)子供に伝わった事に関係は…ないか
こう捉えるなら、お札には『ましらさま』の何かしらの魔力が込められていて、貼られた場所を山中の状態に近づける効果があるのだろう(「陣取りゲーム」。とはいえフィクションの結界的なノリである)
※行方不明少女のケースをみるに、感染者からの感染により近畿から遠くても感染する可能性は既にあったといえる。この可能性がお札による「出張」で一気に高まることになったし、カルト時代にも「施設に遠方から通い詰める人が」いたというのも
※更に言えばRさんが何故感染したのかと言われたら巡回ルートでシールを探し続けたことで感染試行が増えるか蓄積したからであろう(当初は彼女の拘りに過ぎなかったであろうが)。お札は既に全国的に広がっていて、今後の感染が加速することを予感させる(「薄まり」が解消されたらおさまるかは後述)。これはまさるの時は村内で、『ましらさま』が山中が中心と限定的であったことと対照的である(まさるの場合は村内の外の話は当然出てこないので、実際は村の外でもな可能性は一応)
※シールはストリートであったり謎のビニール紐じみてるなとは(後者は近畿らしいし)
そして、お札と『ましらさま』が直接繋がっている要素は感染者が山に向かい自殺を図ること(Rさん)、お札自体に『ましらさま』らしき存在が描かれている事である。このような『ましらさま』と関係がありそうなお札を作り始めた(?)のがカルトのようであり、「宇宙の力を持った石のそばで、布教のための絵を描き、それを目にした人々を救うらしい」
※カルトのお札は「なにかの絵と、「女」という漢字だった」らしいが、これで実は『ましらさま』でないとしても話が始まらないので同じと仮定する
作中で作られるお札やシールの起源がカルトにあると仮定して、何故カルトはそのお札を作るに至ったかという問題がでてくる。先程の石の時と同様に、カルトは元々がお札を作る習慣(リアル世界でも往々にある)があったものが『ましらさま』の影響により変容、図案も変わったと考えることは一応は可能である
この変容の結果として当初の教義や儀式の中に『ましらさま』が無理やり挿入されたと考えることもでき、「宇宙」そのものを崇める筈の教義でお札に謎のキャラクター(+女)を描いていることのチグハグさへの答えともいえる(感染者はチグハグさをどうとも思わないであろう)
とはいえこの説の欠点は『ましらさま』や石がカルトに対して図面を教示する姿を想像できない点にある。『ましらさま』の起こす怪異は基本的に受け身であり、山に来たり札に影響を受けた場合に感染者を自殺に仕向けるものの、自分から近付くことはない。札が拡散するのはあくまでも結果論である。そんな存在がカルトのお札を見て自身の意匠を施すように仕向けるのはテクニカルすぎないであろうか。石に関しても行動を変容させる力が意匠にも向けられるかと言われたら微妙に思える

※お札を広げることに関しては人間には不可能なやり方があるので、『ましらさま』が貼っている可能性もなくはないが
※さらに言えば『ましらさま』に感染した人でお札を作ったケースが見当たらないことである
となると、この点で言えば最初から『ましらさま』を道具としてカルトを作り上げようとした人物(なり存在)を想定する方が自然であるとはいえる
※この場合は『ましらさま』が猿であることを知っていないといけないだろう。神社や村に『ましらさま』の図案はあったのだろうか
どちらにせよ、カルトは『まさるさま』を取り入れている。ここで先程の『まさるさま』から『ましらさま』に変わったときと同様にカルトバージョンの『ましらさま』が追加で創造されるのかという疑問が出てくる。教団員は「高みにいく」ことが目標だったが、これが『ましらさま』の嫁になることとイコールで単純に結べるのかという話になる
※嫁状態は字面としては「高み」である。あきらは「霊の中でもひとつ上の次元なんだそうです。神道的な表現をするなら神に近い存在」であり、『ましらさま』はそれに類する存在である(老人がいうには)。その『ましらさま』の嫁ということは霊の中でも格は上の可能性はある(とはいえ手紙2を見る限り疑問か)
※カルト側からは嫁になった人がいないと言おうと思ったが、そもそも嫁は行方不明少女だけなのでこれだけではなんとも
さらに言えば、『ましらさま』なり石は周囲に女がいる状態であるのになぜ(カルト内での)一家心中が続き、鎮静化されないのか(供給は続けるべきだろうが)。そして、なぜ祠に依然として人形が置かれ続けていたのか。これらの疑問点からも本来の『ましらさま』とカルトにおける『ましらさま』は違う、独立した存在である可能性があり、もっと言えば石という『まさるさま』を「道具」とし、別の怪異に女を捧げているとすら考えることもできるかもしれない
※村人が『ましらさま』を作ったようにカルトがさらなる『ましらさま』を作ったとも
※そういえば祠の下にはまさるが埋まってるんだよなとは思った。バイカーの写真は…?

※他に『ましらさま』とカルトで共通する点としては感染の症状がカルト内でも発生していることも施設の立地がそもそも感染するエリア内だからとも思える(ホワイトマンのキャンプ地や待っているのマンション)
※マンションは5号棟に住んでたら特に狙われそうではあるが、5号棟以外なら狙われないかと言われたらビミョーである

※石がカルトに渡ったとして、『ましらさま』が元の場所にとどまってるように思えるのも謎ではあるか

 

(3)赤い女と解散と石

赤い女はカルトの設立当初から所属していたらしい。彼女の怪異後の挙動はカルトの儀式が元ネタである一方で、『ましらさま』側では見受けられない。このことからもカルトが本来は『ましらさま』と関係なく成立したことを示唆しているとも考えられる。とはいえ、このカルトが変化したことを彼女が言及していない(とはいえこの説はまだ使える)

赤い女が石を盗むことでカルトは解散することになる。このことは、カルトにとって石がその時には教義の根幹になっていたことを示している(それとも全員自殺したのか…?)

※石の遍歴をみると一つの指輪っぽさが

※カルトの解散の時期は記事が2000年8月号掲載なのでそれ以前であり、さらに言えば雑誌は月号がズレるのが一般的なので書店に並ぶのは6〜7月か(『私』が赤い女に取材してからの流れは後述)

石の窃盗があった年の前年に赤い女の息子であるあきら君が自殺する。その後の彼女は「高みに行って息子に会うために修行」を続けていて、「気持ちが昂ってる」以降(?)に「あの子を救い出した」ようである

ここまでで曖昧なのが赤い女が石を窃盗したことと、彼女の気分の昂りの関係である。窃盗した後に昂ったのか、その逆なのか。これによっても考えられるシナリオは異なる

※スレ主(軍曹)は感染後に石を移動させた

昂りに関してはさらに昂りの発露と救い出しの関係についても考える必要がある。救い出した後に発露したのか、発露により救い出しの儀式の知識を得たのか(救い出しの知識を得ることで発露した可能性もあるだろうか)

※発露と儀式の知識は(赤い女には)不可分の関係である

仮に石を盗む前に発露したとしたら、赤い女は儀式の知識を得てから行動していることになる。この場合には赤い女は何に感染したのかが疑問になる。とはいえ選択肢は石それ自体以外に候補は殆ど無さそうである。『ましらさま』は赤い女を選ばなかった(と作中で語られる。ミスリードの可能性もあるが)

ただ、石を想定したとしても、石側に動機があるかは謎である。先程は人口が多い方に移動しようとした説を作ったが、赤い女がいくら住宅街に一軒家を持っているからといっても、移動の根拠とするには(作品的に)弱いような(周辺で怪異が発生したのかも不明だ)

※あえて言うなら『ましらさま』によって息子を亡くした母親というのは特異的な存在ではある。あるいは、まさると対比的であるか

逆に、赤い女が石を盗んでから発露したと仮定する。この場合は彼女は何かしらの怪異に影響されることもなく自発的に行動に移したことになる。この場合は彼女の行動の動機が疑問になる。仮に儀式の知識を発露する事なく得られたり思いついたとする。彼女はそれを発露もなく確信して行動に移すために盗みを働くだろうか

この場合に先程のカルト変容説をこちらでも適用できる。石はカルトが設立した後に持って来られ、(当時の)現在ではカルトの根幹に関わるようになった。赤い女が設立当初から所属して石の導入後の変容を観察していたとしたら、「石に何かがある」と思っても自然ではある

※更に言えば儀式に関してもカルトのやり方を流用する事で何かしらが発生するとも思ったかもしれない

窃盗を行う衝動に関してもそれ以前からのフラストレーション、つまりは高みへいきたくてもいけない現状や、マスコミ報道(「試練と思って耐え」)で溜まっている状態ではあった。それに加えて『私』が取材で「修行するな」と発言したこともきっかけの一つかもしれない

※赤い女が『私』の発言に感化された可能性はある。「高みに行って息子に会うために修行」に対して「息子に会うために馬鹿なことは考えてはいけない」とある。赤い女は手紙3で「より高みに到達することにした」とあることは、到達する前に「救い出し」たことになるだろう

↑「より」に関してはこれ以前に「より高みに導く試練と思って耐え」という記述がある。これはマスコミの報道に対してのものであり、「あのときのこと」と呼びほどには過去である。となると『私』が取材する以前の、感染以前でも「より」を使うのではと考えられる

彼女が石を盗んだ後は、怪異に感染する事で昂りと知識を得たか、カルトのやり方を流用して儀式を行った事で「救い出し」、昂るに至ったかの二つが考えられるが、どっちともいえなそうか(後者は石にしては干渉が少なすぎるようにも思えるが)

※とはいえ平常時に「愚かにも」宇宙の真理を得ることで息子を蘇えらせく窃盗したと考えれば、石がそれに見合う代償を要求することで「昂り」に至る…とも一応は

 

ここまで考えると、赤い女が怪異になって行っている事はカルトに所属していた時に行っていた事そのものだろうなと

 

ところで、「昂り」とはどんな状態か。普通に考えたら作中の怪異に感染したことによる症状であろう。昂りは笑顔に類し、お札を広めて、最終的に自殺していることも共通である 

ただ、彼女の症状は他と比べても特異に見える。まず、笑顔に類するといっても笑顔自体ではない。自殺といっても山(ダム)でもマンションでもなく、石に自分を打ち付けてもいない。息子と同じ死に方は誰かに殺されたのかを想起すらさせるだろう(とはいえ自殺か)

※作中ではお札を広める行動を直接している人物が彼女だけなのも奇妙である

このことは何を示唆するか。彼女は自殺するまで感染していなかった可能性は無いだろうか。なんとなしに行った儀式によって新たな怪異が発生してもなお感染しなかった。「気持ちが昂ってる」とは怪異による精神操作ではなく、「よみがえらせた我が子は、偽りの神より醜悪な、なにか」であっても「我が子だと信じた」ことによる精神崩壊に「過ぎなかった」のでは、とも考えられる(読者のいる現実世界で精神ショックでこうも変わることがあるかは分からないが…)

※とはいえここまで来ると石の存在感は皆無であり、「命を喰らうだけのなにかを満足させるために、自らが呪いに加担…」という発想を発露なく持ち得るのか?という疑問が

※他には赤い女の妄言説もある。大発見はカルトの宇宙の真理、加護は宗教全般、救い出しは彼女自身の願望。怪異を抜きにしても発言は可能であり、お札はカルトからの流用である。彼女が怪異になったのは自分が死ぬことで今までの嘘が成就した、とか(死ぬまではあきらすらも蘇ってなかったのかこれ?)

 

昂りの発生後、赤い女は自殺する。彼女が怪異になったのはこの後であり、生前の手紙に「自分を高みへと到達することにし」たと手紙に記していたことから、自殺が怪異化の儀式であることに自覚的、もしくは願っているフシがある

怪異化の願望はあきらに関係することは明確である。仮にあきらが赤い女の生前に怪異化していたとしたら、彼のエサ(友達)の供給問題も同時に発生したということになる。彼女が周囲にお札をバラまいたのはエサを求めての行動といえる。マスコミに対しての再三の情報拡散を要求したのもその一環だろうか

※別に「救い出した」ならよくないかと思ったが、彼女には息子から友達がほしいと聴こえたのかもしれない。

自殺によってこの作業を放棄したということは他にやるべきこと、つまりはもっと効率的に感染させる方法を思いついたことになり、それが自身の怪異化であったと。カルトのお札の広がり方には怪異じみた側面もあり(謎のシールのビル)、周辺に配る程度しかできない人間のときよりも効率的である。お札をバラまき始めてしばらくして自殺、という時系列も人間ではまかないきれなかったということだろうし、人間の時にマスコミに要求する意味も見出せなくなったということか

とはいえ、自分が怪異になればという発想になるかと言われたら謎である。そして、生前の行動が欺瞞に見えるのはどうなのかという問題もでてくる。とはいえ、ご加護が元のカルトの教義だと思えば、儀式への参加で自他ともに利益があり、自分への利益が目的であるのに他人の利益を殊更に主張することで自身の「やましさ」から目をそらすという心理状況は現実世界でもあるのではないかとも

※ここで「浮気」の彼氏が笑いながら泣いていたような心理状態を当てはめられるかと言われたら分からない

残る疑問としては「自分に近い女性に、自分の役割を担わせることで、お札よりも強力な呪いを感染させたかった」であるが、自分が高みに到達したので、代わりの生きてる人間がほしかったということだろうか。友達にしろ母親代わりにしろ、「親心」の一言で解決する疑問といっていいのだろうか

※細かい話をするなら「玄関から見える家の中の壁や床や天井にもびっしり貼っ」た時にあきらが怪異になったのだろうか

※そもそも「友達」が生前はどの程度必要だと赤い女は思っていたのか。ネット利用も行っている現在は『ましらさま』と同様に爆発的な感染の伸びを(『私』がいなくとも)予感させるが、それが当初からの想定だったのか

(4)赤い女とましらさま

ここまで赤い女とカルトの関係を主に考えてきたが、赤い女と『ましらさま』に関してはどうであるか

赤い女はカルトに所属していてカルトは『ましらさま』と関係がありそうではあった。では、赤い女はカルトでの生活において『ましらさま』を認識していたかというと疑問である。教団と『ましらさま』の関係はあくまでも「匂わせ」程度であり、カルト内で明示されることもなかったと思われる

となれば、教団の構成員が「高み」や「宇宙の真理」を目指したり儀式を行う時にましらさまを念頭に置いてはいなかったであろう。これはカルト設立当初から所属しており、石による変容を経験した赤い女であっても認識していないのではないか(そもそも変容説の場合は教団トップであっても分からない)

※この場合はカルトが信奉している「宇宙」と『ましらさま』は(『ましらさま』と『まさるさま』の時と同様に)別物であると考えることができたことは先程も書いた

そもそも、彼女は『ましらさま』について知っていたかと言われると、薄い可能性がでてくる。赤い女は(『ましらさま』の影響下にあるであろう小学校)の近くの一軒家に住んでいた。当初は父親と息子の三人ぐらしであり、結婚や出産を機会にこの地に移り住んできたとも考えられる。

※賃貸物件の人と似た状況で、Iターンしたのかもしれない(1990年代に広まる)。それとも「まっしろさん」にあるニュータウンブームの一環だろうか(流石に戸建てのリノベは2000年以前には無さそうだが)

その場合に『ましらさま』について周囲から話される機会があるかと言われたら疑問である。世間話でわざわざ話題にするものには思えないし、仮にカルト設立に伴って移住してきたと仮定してきたとしても「変わった人」にわざわざ話をするのかと言われたら微妙である。そもそも「周囲」の人は『ましらさま』を知っているのかすら定かでない(テープ起こし4の親子がどこに住んでいたのか)

仮に赤い女が『ましらさま』を直接知る機会がなかったとして、その存在を認識するのであれば、息子のあきら君が死ぬことになった『まっしろさん(ましろさん)』によってであろう。とはいえ考察をするとこちらでもそれほど機会が無いように思える

あきら君の生前であれば『まっしろさん』にあるように、遊びについて主婦の方々で共有する状況が生まれたかもしれない。とはいえ、彼女らが遊びを知ったのは自分達の子供が暴力的になったからであり、あきら君はそれに該当しない。主婦に先生が説明したのも質問されたからであり、先生側から遊びについて説明するかは疑問である

※学怖として採取できる程度に『ましらさま』は広まっていたとも考えられるが、親に伝達されるかは微妙なところ

あきら君が赤い女に説明することは考えづらいものの、彼が遊びについて知っていた可能性はある。書き起こし3において卒業した兄弟が『ましろさん』の身代わりにされて死んだ話をしている。これが遊びにしろ『ましろさん』にしろ学校内で、マンションに住んでいなくてもある程度は知られていたのではないか(兄弟がどこに住んでいたかは記されてないが)。とはいえ子供が親にいうとは考えにくいか

自殺の発生後はいよいよ赤い女が遊びを知る機会を得るように思えたが、実際のところは周囲の人がわざわざいうこともなく(知ってるかすら微妙だ)、同級生と遭遇する機会も減るだろうし、先生が(仮に知っていたとしても)いうであろうか。残る候補としてはマスコミは挙げられるが、取材ではいじめの話はあったものの、マスコミ側が遊びに関して知っていたかは疑問である

あきら君の生前と死後で考えたが、赤い女がこの遊びを知る機会はそれほどない。となると彼女は生前には『ましらさま』を知らなかったのではないかとすら考えられるだろう。

 

ところで、あきら君が自殺した後に発生するのが「浮気」にある降霊術であった。降霊術は赤い女の動きをしつつも『ましらさま』らしき存在に感染するものであり、作品を順番に読んでいると両者に接点があるように思える

ただ、実際のところは赤い女に由来する動きはカルトの儀式が元ネタであり、その儀式が『ましらさま』と関係している(ようにみえる)以上、降霊術と赤い女が強く繋がっているとは言い難く、結局はこちらでも両者の繋がりは(実際は)希薄であるように感じられるし、降霊術もまた小沢くんの症状のようにカルトと『ましらさま』の関係を強調するものであるともいえる

とはいえこの降霊術にも幾つかの疑問は依然としてある。仮に降霊術の源流がカルトであっても小学生が見たのが赤い女の動作であったのであれば、降りてきた霊(怪異)は『ましらさま』自身ではないのではないかと疑問に思える。とはいえ、降霊術が例のマンションで小学生に流行っていたのであれば、『まっしろさん』という遊びが『ましらさま』に直接的に影響されて行われている(これも推測ではあるが)ように、降霊術も同様であったと考えれば、怪異は『ましらさま』と考えてもよいのかもしれない(「一部の子がすごく熱心にやってた」のもまた)

では、降霊術に赤い女がしていた動きが取り入れられた意味とはなんだろうか。カルトの動きが取り入れられることは『ましらさま』にとっては都合が良いものの、『ましらさま』が意図的に仕向ける傾向にはないことは考察してきた。では、それは意図的ではなく偶然とは考えられないか

赤い女があきら君の死体のそばで飛び跳ねていたものをたまたま見ていて、印象的であったから取り入れた。ただそれだけであり、怪異は何も介在していない(そういう意味で作中で一番怖いシーンとも)

※なぜ周りに群がっていたのかは『ましらさま』への身代わりを捧げるために、か。そもそも何故あきらくんをわざわざ捧げたのかは不明、というか『ましらさま』側の指定だったのだろうか

※小学生が暴力的になり、遊びに『ましらさま』の影響が交じるのは、山の近くにいることで感染しているのだろう。これは「待っている」の自殺を見ている人にも通じるか。結局、彼らの怪異への影響下での行動の変化が何を意味してるのかは分からずじまいだが

また、降霊術はこれ以降に変容したとも考えられる。それ以前の降霊術はこっくりさんやキューピッドさんの類いに、昔から噂されていた『ましらさま』の呼称が結びついた単なる遊びであったものが、小学生が赤い女の動きを自発的に取り入れることで本当の降霊術となった。これによって一部の小学生が熱心にやるものになったとも

※そもそも、赤い女を経由せずにそのまま降霊術が発生した可能性すらある。「降霊術は赤い女の動きを取り入れた」と明確に記載されておらず、単なる推測だからである(ある場所4-4)。その場合はカルトの儀式がカルト所属の家族経由で漏れたことになる。とはいえ学校の七不思議にこの降霊術が含まれてないのがおかしいということになるのか。学怖が2003年に初版てことは学怖の取材は02年あたりであり、その頃は降霊術は採取できなかったのだろうか?(学怖の取材以降に赤い女の動きを取り入れた降霊術が発生は微妙…)

降霊術の経緯はさておき、その性質を考えるに、お札と類似しているようにみえる。それは、違う地域にいても感染する可能性が出てくるからである。逆にいえば、お札に降霊術の性質としての、『ましらさま』がアクセスできる何かが埋め込まれている可能性も出てくる(カルトの儀式由来の点で共通である)

一方、降霊術は赤い女とも関連してるとも考えられる。それは「降霊術」そのものという点である。赤い女があきら君を怪異として蘇らせたのはある意味で降霊術であり、「石を盗み、お札の文字を自分の子の名に変えて、よみがえらせた我が子」と『私』がある場所5で記したのもそういう意味あいを感じる

※では、赤い女の降霊術が「浮気」の降霊術に影響を与えた可能性は、赤い女のやり方が分からない以上はなんとも言えない、というより昂った状態でもあの動きをしていたという話が出てこない(してたらあの奇行なら出るだろう)以上は微妙では?時期的には矛盾することはないが(「浮気」では04年頃に流行ってた話で、それ以前への言及はない。先程の「※」と同様に謎のまま)

※赤い女が現れてカルトの動きをしてるのにましらさまが付随しないのは、赤い女は『ましらさま』を知らないからだろうか。ただ、教団も『ましらさま』とは言ってないが(だから札が必要なのか)

 

ここまで、赤い女が『ましらさま』を知らなかったのではないかという話をしてきた。では、『ましらさま』はどうか。こちらは反対に赤い女を認識した可能性はある。とはいえ、それは彼女が「高みに行ける者」ではないとして選ばなかった、という意味ではあるが

※「皆表立っては言わないものの、信者には2種類がいる」とのことで、教義ではないと考えられる。これもまた変容説っぽさを感じるか

※選ばれない理屈は子供を産んだことがあるかどうかであったが、当初のまさるにこのような話はないものの、昔の嫁といえばそういう選び方になるのか、ということか。とはいえ、その理屈を込みでも彼女が「高みに行けな」かった理由がよく分からない。仮に「高み」が感染と同義であれば、女に感染させて家族、特に子供を山中に誘える可能性がある(行方不明少女のように)。となると、「高み」の場合は『ましらさま』が直接選別するだけか、『ましらさま』とは別の存在であるからだろうか。ホワイトマンのように家族感染で妻に感染させてるケースもある。これは山中だからなんでもいいのか?(カルトも山中だと思うが。集団ヒステリーの場だし)

 

赤い女が選ばれなかったのはカルト内での生活であったり、ある場所5での『私』が赤い女に感染した中での発言からも伺える。とはいえ、ここでいう「選ぶ・ばれる」は赤い女にとっては(存在を知らない)『ましらさま』ではなく、宇宙の真理などのカルトの教義に則って想定される怪異ではある

※この怪異自体は赤い女の想定でしかない

赤い女が『ましらさま』に選ばれてなさそうであることは、先程も挙げた彼女の感染後の症状が『ましらさま』の感染者と類似しないことが挙げられる。そして、「山に誘われていない」。彼女の死に方はあえていうならあきら君と同様に「身代わり」じみてすらいる(これについての考察はしてない)

※昂りが謎シールのRさんと類似するとは考えられるか。『ましらさま』関連で自分が行っていることへの固執という意味なら共通してるようにみえる(死に方は違うが)

 

同様のことは、彼女が怪異になった後の「表情」からもいえるかもしれない

作中での怪異としての赤い女の表情への記述は二箇所あり、読者投稿欄での「口が裂けるぐらい笑顔の女」という表記と、卒論の人が見つけた呪いの動画での「笑ってるようにも泣いてるようにも怒ってるようにも見え」たてのが該当する

この笑顔は『ましらさま(らしき存在)』や『嫁(行方不明少女)』らの怪異がみせるそれとは別に思える。両者は純粋に、他の感情抜きで笑っているからである。それどころか、「浮気」の彼氏や小沢君のような『ましらさま』への感染が進行中の人たちがみせる複雑な表情の方に符号しているといえる。そして、赤い女に感染したとしても笑顔になることはない

※嫁:「満面の笑み…すごい笑顔で目だけ上を向けながら」とある(目の下りは謎だ)

赤い女以外が笑顔の理由はある意味で明確であり、「山に誘う」ためである。『ましらさま』は餌に自ら来て欲しいがゆえに対象の精神を操作し、山に向かうことを「楽しそうだから行きたくて仕方ない」状態に仕立てる。その結果が笑顔である。『嫁』は嫁に成れたことが喜ばしいと思わされてるから笑顔である。『ましらさま(らしき存在)』は…誘うなら笑顔のほうがというところか(民族学っぽさが)

※らしき存在は「また来て下さい」のアレ

一方の赤い女は感染者に自らが向かう。感染者への動機づけは必要としないので精神操作の必要がない。では、赤い女自身の表情とは何か

これはある種、先程出てきた感染の進行中の表情ではないか。つまりは感染で昂りによる笑顔は出るものの、息子は死んでいるという状態を表しているのではないか、という考察はできるが謎のままである

※とはいえ、昂りが息子を蘇らせたことに関連するなら泣く必要はある意味でないともいえる。そこは「醜悪な、なにか」を「我が子だと信じた」状態なのだろうか。もしくは昂りは怪異と関係ない説ならまだ怪異後の表情に説得力は増すか(考察しないが)

 

ところで、怪異の表情で他にも特徴的だったのが大きく口を開くというものであり、夢の中の『ましらさま』とあきら(怪談)が行っている。そして、こちらでも同じ表情をしているものの、その意味あいがそれぞれ異なっているのも共通である

前者は(意味が最後まで分からないが)まさるが死ぬ時の表情が起源であり、後者は捕食行動とされる(ある場所4-4)。両者をまるで表裏の関係にあるかのようである

※他にも『ましらさま』は嫁を、あきらは友達を求めており、生前の彼らにおいても(実際は不明であるものの)コミュニティ内で不遇の扱いであったところは共通である

※とはいえあきらに捕食された結果が自殺であったとしたら、『ましらさま』と同じではないか、ともいえる。あきらくんの自殺の数年後に発生した女子の自殺はあきらによるものだとしたら(小学校からの飛び降りはこの一例だけであり、解釈が定まらないか)

ここでまさるの捕食を「攻撃的」であると解釈したとする。この場合に『まさるさま』への感染者の中にも同様の傾向の人(小学生、配信者、「待っている」、彼氏は微妙か)

※暴露者と普通はいうなこれ

赤い女側は攻撃的なだけである一方、『ましらさま』側は受動性と攻撃性のどちらも併せ持つ。これの意味するところとして、石自体は攻撃的、まさるは自殺的という図式を考えると説明はできる。つまり、『ましらさま』という怪異は石とまさる(の死後の怪異)が重なった状態であり、それによって感染者が自殺したり攻撃的になったりすると

具体的な条件については説明はできないものの、この説であるとまさるが死んで怪異になった状況は説明ができる。石自体が攻撃的であることでまさるが近所の女を殺める。さらに、村人によるまさるへのリンチもまた石の影響もあるのかもしれない(ここはあきら君の自殺と被るように感じる)。まさるは自分を自身で殺めることにすることで怪異に自殺という暴力性が付与され、その後の村民の自殺を発生させる

※とはいえ笑顔の発祥は不明である。現代のダムへの飛び降りの人が口を開けてたかは不明といえる。興味深いのは集団ヒステリーで自殺した人が笑顔なのか口を開けてるのか不確定なこと

あきらが攻撃的であるのは石による暴力性が一つと、『ましらさま』と関係ないからであること。そして、彼が「自殺」した訳ではないということではないか。なので攻撃性を持続させる存在になった

※彼が生前に感染して自ら死んだ可能性はひくいのでは。マンションでの遊びであるから

まとめ

 

(5)まとめと細かい疑問

ここまでをまとめると

・『ましらさま』が石とまさるの関係によって成立しているのは明らかであるが、どのような関係であるかは定かではない。更にいえばまさるの死後の怪異から『ましらさま』、カルトの裏に見え隠れする『ましらさま』らしき存在のそれぞれが単独で存在しているかいないのかも定かではない

・『ましらさま』とカルトに関係性はあるものの、それがどのような関係であったのかは明示されていない。石の窃盗がカルトを変容させたと仮説は立てたものの、誰が石を動かす動機を持っていたのかは不明である

・石が赤い女に窃盗を仕向けたのかは(カルトの時と同様に)不明である。仮に石が仕向けたとすると、赤い女をターゲットにした理由は兎も角(まさるっぽい)、あきら君の自殺から時期的に開くのは謎である

・赤い女と『ましらさま』は同時に存在している怪異ながら、両者は隔絶した関係に思える

と、作中の怪異の関係性は考察を経ても殆どは謎のままである

とはいえ、石が元凶であること、その存在は自身は周囲に怪異を撒き散らすものの、意思は感じられない(まさに「道具」に過ぎない)というのは作中で通底してる気はする。『ましらさま』にせよ、赤い女にせよ『ましらさま』にせよ、石に誘惑されて怪異になったのだろう。では、まさるの近所にあったのはどういうことか。作者が落としたオチでいいか

怪異の関係性という意味での疑問として

・暴力性を発祥した人たちのその後について語られることはない。彼らも自殺したのだろうか?それとも「生贄」の提供で済んだのか

・小学生が暴力的であった話はカルトの活動期に限られている。つまりは「浮気」の時期や怪談の採集時期に暴力的な小学生がいるかまでは記されていない。仮にいないとしたら、マンション飛び降りの小学生の女の子のように自殺へとスイッチしたのだろうか

・なぜ感染者とあきらは無表情でもあるのか

・あきらに感染した後が自殺なら収拾つかないのでは考察が

・子供を生贄にましらさまへとって説は流石にないな

・ダムかマンションかの違いがよく分からないし、山の東西がどうこうも何も考えてない

・感染してても微妙な状況の人はどんな状況なのだろうか。待っているの母親とか。電波を受信しているのか?

くらいだろうか。キリがないが